みやわきろく

思考のsandbox

いい子ぶるのはやめにした

 今回はまずマシュマロのお返事から。

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 そうですか。ご意見ありがとうございます。


 ちょうど書こうとしていたこととこのマシュマロの返信の内容が重複するので今回こうして記事にしている。


 これまで、このブログにしてもTwitterの発言ひとつにしても、わたしは「読んだ人にどう思われるか」を常に意識していた。

 正確に言うと、怯えていた。

「こんなことを書いたら叩かれるかもしれない」
「嫌な奴だと思われるかもしれない」
「攻撃されないように、『いいブログ』を目指そう」

 読者がそもそも少ないため叩かれることも炎上することもない。けれども、起こりもしない可能性にただ怯えて、本当に言いたいことを押し殺し、「いいブログ」「正しいブログ」であろうとした。

 だが、そんな無理は長く続かない。自分の心を騙し騙し書いているうち、何が書きたくてブログをやっているのか、わからなくなってしまった。書きたいことが浮かばず、ポメラに向かっても一文字も進まない。それが苦しくて、自然とブログから距離を取るようになっていた。

孤独ととことん向き合ってみる - みやわきろく

 親と話すことをやめ自分と向き合ううち、この考えをどこかに書き留めておきたいという気持ちが湧き上がってきた。

 どこに書こう。そうだ、ブログがある。

 数記事前から文体が変わっているのも、本当はどういうものを書きたかったのか?という問いに対する答えだ。頭の中に浮かんだことをとりとめもなく書きつけるのであれば、この文体が一番楽で書きやすい。
 妙に取り繕って明るい文体にしたり、親しみやすくしたり、見出しを整えたり、全体の整合性を取ったり。そんなことは正直面倒なのでやらないことにした*1
 もともと収益化も考えていないのだし、「いいブログ」「役に立つブログ」を目指す必要はどこにもない。わたしはこれまで、「ブログをやるならいいものにしなければならない」という観念に囚われすぎていたのだろう。


 ……と、このようなことを記事にしようとしたところで、上記のマシュマロである。

 言いたいことはわからないでもないが、前述の通り「いいブログ」「役に立つブログ」を目指そうとすると疲れてしまう。疲れることはしたくないので、今後も「整合性の取れたいいブログ」を目指すつもりはない。この点をご理解いただきたい。


 そもそも、人間の思考は流動的なものだと考えている。生まれてから死ぬまで一貫した思考を持った人がどれだけ存在しているのだろうか?

 例えばある事柄に対してAという意見を持っていたとしよう。それに対する、Bという考えを持った人と話していて、「自分はBだと思うが、Aもアリだね。中間のCという考えもあるかもしれないね」と言ってくれる人と話す方が楽しくはないだろうか。
 話しているうちに頭の中が整理されて、考えが少しずつ変わっていくことは大いにありうる。記事の途中で矛盾が出てきたら、「ああこの人は書いているうちに頭が整理されてきたんだな」と温かく見守っていただければ幸い。


みやわきにマシュマロを投げる | マシュマロ

*1:読み返してみて、あまりにも違和感があれば随時修正している。これはこれまでもこれからも同様。