みやわきろく

インタネッツに雑念を放流する

一生技術者であるために

 本記事は退職者 その2 Advent Calendar 2018の9日目の記事です。
 昨日はY_uuuさんでした。9日目を担当するみやわき(@mywk6)です。よろしくお願いします。

 今年の秋、10年勤めていたいわゆるデー子を退職しました。社名は伏せ、以降A社と記載させていただきますが、「デー子の中でもそこそこいい方」の会社でした。


 退職するに至った経緯はこれまでも何度か記事にしてきました。

 ちょっととっ散らかっていますし、退職してからしばらくして「本当はこう思っていたんじゃないか」と気づく部分もありました。改めてまとめてみることで、このブログにおける転職エントリの締めくくりとしたいと思います。

文系からSEへ

 大学では経営学部でした。そこからSEを目指すというのは結構無謀に思えることだったかもしれません。しかし高校生のころ――当時、インターネットが常時接続へと切り替わったあたりの時期でした――から自分のホームページを持ったり、好きなアーティストのファンサイトに設置されていた掲示板(今だとあり得ない話ですよね)内で他のファンの方と交流したりしていたわたしにとって、「自分でウェブサイトを作る」「パソコンを使った作業をする」ということはとても身近なところにありました。そのため頭の中にぼんやりと、「パソコンを使って何かを作りたい」という気持ちがあったように思います。

 「自分がめんどくさがりだから、便利になるものを作っていきたい」。

 面接でそんなことを話し、内定をいただいた会社がA社でした。

師匠との出会い

 OJT担当の先輩を除き、一番よくしていただいたYさんという方がいました。Yさんは当時50代の大ベテランですがとても面倒見が良く、OSやミドルウェアでわからないことがあればすぐに丁寧に教えてくださいますし、新しい情報に関するアンテナも常に張っている方でした。
 アプリケーションよりもミドルウェアを触っている方が楽しいと思い始めていたわたしは、Yさんを師匠と仰ぐようになりました。周りからも「みやわきさんはYさんの弟子だから」と言われるようになっていきました。

 その頃が一番楽しかったのかもしれません。迷いながらも構成を考え、提案や見積もりを行い、顧客を納得させられるような売り文句を考え、会議でボロボロになって。困れば頼れる人がいて、わたしは誰かに頼られる。背負いすぎることもなければ、背負われすぎることもない。この適度なバランスを保つことが、わたしにとっては重要なことだったのではないかと、今になって思います。

 師匠はその後定年を迎え、再雇用で3年ほど働いたのちに会社を去りました。送別会の日、わたしが担当していたシステムがトラブルを起こして送別会に行けなかったことをいまでも悔やんでいます。

閉ざされた技術者への道

 A社では、リーダークラスになると「プロジェクトマネージャー」か「技術スペシャリスト」どちらに進むかを決定する必要があります。……ということになっているのですが、当然のように「技術スペシャリスト」を選択しようとしたわたしに、当時の上司からの一言が突き刺さります。

「技術スペシャリストになってももう先はないよ」

 その言葉は、プロジェクトマネージャーへの転換を促すものでした。A社ではその頃から人手不足が叫ばれており、若手は皆PMに育てなければならないという方針になっていたようです。
 そこで上司の言葉を遮って、何が何でも技術スペシャリストになる!と主張していたら、もしかしたら退職にまでは至らなかったのかもしれません。しかしわたしには、上司の言葉に反論できるだけの勇気がありませんでした。
 当時からすでに技術スペシャリストの方は50代の方がほとんどで、数年後には誰もいなくなってしまうことが目に見えています。それなのに若手を育てないという方針に違和感を抱きつつも、勇気のないわたしは何も言わず、上司の言うことに従うことしかできなかったのです。

「ものづくりがしたい」という願い

 それから、わたしは自分がそれまで設計にも構築にもテストにも全く携わっていないシステムの管理を任されるようになりました。そのシステムの設計書を読んで把握しようとはしましたが、業務量が多すぎてそれどころではありません。加えて、マネージャーになり自分で手を動かせないということが、だんだんストレスとしてのしかかるようになっていきました。
 仕様が把握できていないシステムに対して、他の誰かにものづくりをお願いする。これが本当にやりたかったことなのだろうか?

 途中ストレスから体調を崩し休職するに至りましたが、ストレスの一因として「やりたいことができない」ということは十分にあったように思います。

職人でありたい

 振り返れば、昔から「つくってあそぼ」が大好きな子どもでした。今でも自分で料理をしたり、アクセサリーを作ったり、セルフネイルに挑戦してみたり、写真集の作成をしてみたりと、自分で作れるものはできるだけ自分で作るようにしています。やっぱり、自分の手で何かを作ることが楽しいんですね。
 仕事に関しても同じです。たとえそれが大規模なシステムのごく一部でしかなかったとしても、自分の手を加えたり、どうすれば効率が良くなるか考えたり。そういう仕事を、一生の仕事にしていきたい。今はそう考えています。


 退職者 その2 Advent Calendar 2018、明日はtomato360さんです。