みやわきろく

インタネッツに雑念を放流する

やさしい言葉を使えるひとでありたい

 ブログの記事をいろいろと読んでいると、例えばニュースや他のブログ記事に関して批判をするような記事を見かけることがある。

何に対しての「批判」なのか

 もちろん、批判すること自体が悪いことだとは思わない。わたしにも「この考えは違うのではないか」と思うことはある。万人が賛成できるような意見を言えるひとは、結局のところどこにもいないのではないかとすら考えているくらいだ。その批判が正当なものであれば、互いに意見を交わすことで改善への道を歩めることになるかもしれない。

 しかしながら批判する意見の中でも、「言っていることは理解できるが言い方がよくない」と思うものが多数あるのもまた事実だ。

 例えば。新しいサービスが始まったことを報せるニュースに関して、「それは既存のもので代替できる」という論調の記事があったと仮定する。A)とB)、どちらの記事を支持したいと思うだろうか。


A)○○というサービスが始まるそうだが、そんなことをしなくても××で代用できる。そもそも今××を使っていない人はものをあまりにも知らない人だろう。わざわざ○○を使用する人がいるなんて思えない。したがって○○は不要である。

B)○○というサービスが始まるらしい。似たようなことは××でもできるが、××には〜〜というデメリットがある。それを解消するだけの利便性が果たして○○にあるだろうか。サービスの状況によっては、却って××の需要が増えることもあり得る。


 例が下手で恐縮だが、A)の文章はサービス自体というより、サービスを利用するであろう人を批判しているようにわざと書いている。極端に書いてみたとはいえ、実際にこういう論調の記事を目にしてしまうことは多い。

批判の対象とものの言い方

 上記の例でいえば、批判すべき対象は「サービス」そのものなのであって、サービスを利用する人であってはならない。論点がずれてしまうからだ。サービス自体の問題点と、サービスを利用するであろう人のリテラシーを別に語るというのであれば理解はできる。しかしながらそこを混同したままで記事にしてしまうパターンが多いように感じてしまう。

 もうひとつ、個人的に問題があると感じているのは、記事の中で使用される言葉遣いだ。

 上記の例でいうと、「今更××を使っていないなんてアホ」と書かれている記事を、何かしらの理由があって××を使用していなかった人が読んだとしたら、「いや、私は理由があって使っていないんだけど、なんでここまでボロクソに言われないといけないんだろう」と思うこともあるだろう。少なくともわたしが当事者ならそう思うし、思った時点でページを閉じてしまう。嫌な思いをするためにブログを読みにいっているわけではないのだから。
 少なくとも、「××で代用できるし、今はこういう便利なものがあるのだから使ってみるのもいいのではないだろうか?」くらいの提案に留めておけば、「そんなに便利なら使ってみよう」という気になるかもしれない。言い方ひとつで、ひとの心を左右することができるのだ。

やさしい言葉遣い

 毒舌キャラが許されるのは一部の人間だけだ、とわたしは考えている。
 芸人でも毒舌で売っている方はいる。その方の話し方をじっくり研究するとわかることだが、むやみやたらに悪口を言っているわけではない。しっかりと相手のことを理解して、結果的に相手に損がないように、毒舌として拾える箇所を拾っているだけだ。つまりそこには愛と、尊敬の念がある。素人が真似をしたとしてもただの悪口になり、相手を傷つけるだけなので手を出さないに越したことはない。

 わたしたちのような素人がやるべきことは、やさしい言葉遣いを心がけること。これに尽きるのではないだろうか。
 この広大なネットの海でむやみやたらに敵を作るよりも、できる限りやさしい言葉で語りかけていきたい。少なくともわたしのスタンスはそこにある。言いたいことは言うが、乱暴な言葉にはしない。インターネットという広大な世界でことばを発信していく上で、大事にしていくべきことなのではないか。