みやわきろく

インタネッツに雑念を放流する

運がいい人、悪い人

 最近、「なんかツイてるな〜」と思うことが多い。

 具体的に言うとチケットの整理番号がやたらいいとか、うまいこと雨雲を避けて遠征して帰ってくるだとかいろいろある。不運に見えていたことでも結果的にいい形に転んだりして、満足して終わることが多いような気がする。


「運」についての考え方

 現在のわたしをよく知っている人は驚くかもしれないが、東京に出てくるまでは今で言うところの「陽キャになりきれない陰キャキョロ充ヲタク女」だった。小中学生の頃はいじめられたりもしたし、高校でも楽しい思い出があったかと言われると素直には頷けない。
 というか、正直なところあまり覚えていない。覚えていることといえば、ただひたすらに

「わたしは不運なブスだ」
「運さえ向いてくれば、もっとなんとかなるはず」

と考えていたことだけだ。
 いろいろと思い悩んでは占いの本やネットを漁り、自分に都合のいい結果だけを飲み込んでは「いつかは救われるはず」と夢見ていた。自身では何もせず、ただ時が満ちるのを待っていたのだ。

天は自ら助くる者を助く

 当時のわたしに欠けていたものは「人生を楽しもうとする努力」だと考えている。

 ひな鳥のように、ただ口を開けて待っているだけで楽しみが降って湧くことはそうそうない。熱中できる趣味がないのなら開拓すればよかったし、話の合う友達がいないのであればボランティアでも何でもして*1友達を作ればよかったのてはないか。学生時代をいま振り返って、楽しかったことよりも後悔することの方が遥かに多い。

 「天は自ら助くる者を助く」という。
 口を開けて待っているだけの人に訪れる出来事なんてたかが知れている。自分から積極的に動いている人はたくさんの出来事が身の回りに起こるわけで、それはいいことばかりかもしれないし悪いことばかりかもしれない。けれども、自分で納得して動いているのなら、悪いことが起こっていたとしても「いろいろあったけど楽しかったなあ」と思えるだろう。
 「天は自ら助くる者を助く」の意味は、「努力した人に運が味方をする」という意味ではなく、「自分が納得した上で積極的に動いていれば、どんなことでも自分の糧になる」という、ごく当たり前の真理を表しているといえるのかもしれない。

過去の、何もしないブスだったわたしへ

 わたしは本当にいろいろと後悔ばかりをしている。「何かを始めるのに遅すぎることはない」と言わんばかりに、今は目の前にあることを全力で楽しむことに集中している。
 わたしがもっと早くこの「目の前にあることだけに集中する」ということをできていれば、今頃どうなっていただろうか。もしかしたら、過労で休職することにもならなかったかもしれない。

 とはいえ、失われた時間は二度と戻らない。瞬くような時間を取り戻すように、わたしはとにかく目の前にあるすべてのものを楽しみたいと思っている。

し、そう思っているからこそ、小さい運が自分の方に向いてきてくれるのかもしれない。そんなことを考えながら、今年チケ運が一番よかったときのチケットをニヤニヤしながら眺めている。


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記念にサインもしてもらった。

*1:当時はまだSNSがここまで活発ではなかった。