みやわきろく

思考のsandbox

自分を殺しかけた話(後編)

【前回のあらすじ】
都内某金融機関で保守案件のPMをしていた「わたし」。そこに教育担当としての業務も積まれ、ストレスで体調を崩しはじめていたので心療内科へかかることを決めた。


 眠れない日々が長く続くのは嫌だ。わたしは、とりあえず近くですぐに診てもらえる心療内科を探すことにした。
 かかったことのある人ならわかるだろうが、そもそも心療内科の数はそう多くない。というのもまず精神科の専門医の数が少ないからだ。しかも精神科というとひとりあたりの所要時間は長くなる傾向にある。それが初診となるとなおさらだ。そのため多くの心療内科で予約制が採用されている。わたしがかかろうとした近所のメンタルクリニックも同様だった。
 昼食を食べる気も起こらないまま迎えたとある昼休み、予約の電話をかけてみることにした。幸いにもコールはすぐにつながり、物静かな受付の女性が電話に出た。

「あの、眠れなくなっているので、一度そちらで診ていただきたいのですが」
「初めてでしょうか?」
「はい」
「となると、……今日の夕方、17時からなら空いています。その先はもう来年になりますね」

 電話をかけたのは12月上旬。三週間先まで初診の予約がすべて埋まっているということにまず衝撃を受けた。精神的に追い詰められている人がそんなにもいるという事実が怖いと思った。
 そしてわたしは決断を迫られた。裁量労働制だとはいえ、顧客と結んでいる保守契約を考えると18時まで現場にいなければならず*1、今日突然「抜けます」なんて言っていいものかどうかわからない。しかも理由が理由だ。「メンタルクリニックに行くので早退します」とはなかなか言いづらい。
 それでもやはり「今日行かなければ来年まで苦しみ続けるかもしれない」という思いはあった。パフォーマンスが下がっている状態で働き続けるのも心苦しい。わたしは意を決して、そんなこととは知らずのうのうと本社で働いている上司に電話をかけ、相談した。上司は少し面を食らったような言いぶりではあったが、それでも早退は一応許可してくれた。その日は特に何も起こっておらず平和だったからだろう。

 チームメンバーにも頭を下げ、わたしは夕方に仕事場を抜けて予約していたメンタルクリニックへ向かった。

 初めて入った院内は明るくきれいで、わたしが抱いていたイメージとは少し異なっていた。あまりにも突然の来院だったので何から話すかあまり考えていない。とりあえず今の症状と、困っていることを話そう。そんなことを思い、わたしは診察室へ入った。
 先生はとても落ち着いた口調で、わたしの話を静かに聞いてくれた。話しながらわたしは何度も泣いた。その頃はもうちょっとしたことで涙が出てくるようになっていたし、何より仕事で挫折を味わってしまった自分が本当に情けなくて、悔しくて、仕方がなかった。

 これまで、わたしは失敗らしい失敗を味わったことがなかった。そこそこ勉強はできたので受験はスムーズにいったし、就職先も時期がよかったため比較的早くに決まっていた。挫折した経験がなかったからこそ、大人になって挫折したときのダメージが大きくなってしまったのかもしれない。

 泣きながら話を終えたわたしに、先生はこう告げていた。
「みやわきさん、今肌にアトピーが出てるでしょ。心と肌って組織が近いから、心にダメージを受けると、肌がそれを代わりに発信してくれているんですよ」
 目から鱗だった。と同時に合点もいった。皮膚科にどれだけ通ってもアトピーはずっとぶり返してわたしを苦しめていた。それはきっとわたしが塗り薬をサボったからだ、なんて思っていたのだけれど、実は違った。根本の原因が解決できていなかったから、何度もぶり返してしまっていたのだ。

 とりあえず、業務量を調整できるようお願いしてみて。そう告げられ、よく眠れるように精神安定剤を渡され、その日の診察は終了した。もらった精神安定剤をその晩早速飲んでみると、ようやくまともに眠れるようになった。薬の怖さとありがたさ、その両方を味わったような気分だった。

 心療内科での診察の結果を上司に報告することになっていたため、わたしは早速先生から言われたことをそのまま話した。精神的にかなり参っているので、業務量の調整や時短勤務などの配慮が必要。そんな内容だった。
 上司は終始気まずそうな顔をしていた。例えばこのままメンタルをやられて退職なんてことになったら、自分の評価に影響が出る。そんなことを考えていたのかもしれない。彼は話を聞くだけ聞いて、おそらくテンプレートなのであろうひとつの提案をしてきた。
「産業医面談を受けてみたらどうか」。
 わたしはそのとき、恥ずかしながら産業医の存在をすっかり忘れていた。本来であれば産業医に相談してから、産業医の紹介をもとに医療機関にかかるべきだったのだが、順番が逆になっていたようだ。とりあえず話をしてみるだけならと、産業医面談の予約も取ることにした。数日後面談した産業医にも、メンタルクリニックで話したことと同じような話をした。
 一旦、業務に関しては「時短勤務で様子見」ということになった。わたしに割り振られていた作業はできる限り他の人に回し、教育担当も、事実上別の人に交代する形にしてもらった*2。とはいえわたしにしかできない作業もあるし、何よりわたしの性格上「自分でチェックしないと気が済まない」ので結局あまり変わらなかったかもしれない。その証拠に、もらっていた精神安定剤の量は一日1錠から2錠、3錠と増えていった。

「すみません、もう無理みたいです。」

 『身体表現性障害』。2018年の年明けすぐ、わたしが上司に提出した診断書にはそのような病名が記載されていた。ストレスをうまく処理できず、例えばアトピー症状のように身体上の不調として現れてしまう病気のことだ。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/身体表現性障害

 産業医と相談した上で、1ヶ月の休職が決定した。とりあえず1ヶ月で様子を見て、無理そうなら期間を延ばすという話だった。一人暮らしの社員が休職する場合は実家に戻ることを推奨する、とあったが、ひとまず地元に帰らず様子を見るということで許してもらった。正直なところ、荷物をまとめて実家に帰るというのは両親に申し訳なくてできなかったのだ。
 休職中に何をしていたか、正直なところあまり覚えてはいない。『身体表現性障害』と病名がついているものの実態はうつ病の一歩手前みたいなものなので、調子が良ければ散歩や買い物もできるが、例えば雨が降っている日なんかはベッドから起き上がることもままならない。回復のために料理やジム通い、散歩がてらシーシャ屋に足を運ぶくらいはしていたけれども、結局休職期間は1ヶ月から3ヶ月へと大幅に伸びてしまった。

 休職状態から脱せたのはなぜか。やっぱり音楽の力が大きかったように思う。音楽を聴きながら、シーシャを吸いながら、たくさんのことを考えた。これまでの自分。生き方。本当にやりたいこと。なぜ仕事をするのか。東京に住む理由。これからどうしていきたいか。……考えるうち、自分が生まれ変わっていくような感覚を覚えた。おそらく今までは、自分がどういう人物なのかを考える暇がなかったのだろう。休職して多くの時間を得て、自分の体と向き合うことで、今まで見ようとしていなかった自分の姿を見られたように感じたのだ。

 その経験は、実のところその後の転職活動にも活かされている。これはまた長くなるので、別の話で。


 このような長文の体験談を記すことで伝えたかったのは、「自分を殺さないでほしい」というひとつのメッセージだ。
 たとえ自分の体に直接危害を与えなかったとしても、自分の体から発せられている「叫び」を無視することで、簡単に体の機能は壊れていってしまう。今回の件でも、アトピーが出始めた頃に自分の身の周りで起こり始めた変化、自分の感情の変化、環境の変化にもっと敏感に反応してストレスへの対処を行っていれば、皮膚科医に無駄に怒られることもなくもっと適切な対処ができたことだろうと思うと悔しくて仕方がない。掻きむしってしまった傷痕は今でも醜く残されている。
 わたしたちは日々に追われすぎていて、自らを振り返ろうとしなくなってしまった。「立ち止まっていたら置いていかれる」そんな社会になってしまっている。それでも、そんな中だからこそ、立ち止まって素直に自分の体に耳を傾けてあげる機会を作ることが、自分を健やかに生かしてあげるための最適な方法だとわたしは考えている。

*1:これが前職の一番悪いところ。裁量のない裁量労働制。

*2:これは新人の要望もある。「保守作業はスキルアップできないしつまらないから嫌だ」と言われてしまったのだ。この件も正直ショックだった…